風と草

塞翁が「心」

2026-01-08
霄貫道老師墨蹟
浄妙寺甲賀和尚筆
こんにちは、副住職の源さんです。
広福寺の機関紙「慈眼」に書いた文章を以下に載せ、新年のご挨拶とさせていただきます。


 
あけましておめでとうございます。晴れやかな新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
昨年も実に様々なことがありました。大切な方との別れ、新たな命との出会い、悲しみに打ちひしがれる夜もあれば、喜びに心を躍らせる朝もありました。
まさに禍福は糾える縄の如し。人生は良い事と悪い事をより合わせた一本の縄に例えられます。
また、本年の干支である午にちなんだ故事として次の「人間万事塞翁馬」は良く知られています。
写真は当山に伝わる墨蹟で、明治時代に建長寺住職を務めた霄貫道老師が書かれたものです。
この故事のエピソードは次の通りです。

 
昔々、塞翁と呼ばれた老人の馬が逃げてしまい、人々は同情したが、塞翁は「これが福となるだろう」と言った。
数ヵ月後、その馬は名馬を連れて戻り、人々は祝福したが、塞翁は「これが禍いとなるだろう」と言った。
塞翁の子は名馬から落ちて足を骨折し、人々が見舞うと、塞翁は「これが福となるだろう」と言った。
一年後、戦争でほとんどの若者が亡くなったが、塞翁の子は足が不自由だったので出兵せずに生き延びることが出来た。

 
このように福と禍は表裏一体で予測もつかないので、一喜一憂することはないという故事です。
塞翁を見習い、どしっと構えて日々を過ごしたいものです。

ところで、昨年末に鎌倉五山浄妙寺の甲賀丈司和尚が絡子の裏に「心」と書いて御恵与くださいました。
その際、あわせて次のお経の一節を同封してくださいました。
名調子で綴られているので、ぜひ声に出して読んでみてください。
 
《般若心経和訓》
我等が短き生涯で、苦なり楽なり厄なりと、心に感じ身に受けて、悲歎の中に日を過ごす。
その有様を観ずるに、三毒五欲に執着(とらわれ)て、狭き心で推しはかり、
己れ一人が不幸者、己れ一人が苦しむと、胸の内にて嘆くなり。
何をか指して苦と名づけ、何をか指して楽と呼ぶ。
一切唯心造なりと、心の構え一つにて、苦とも楽ともなるものを、覚(し)らずに過ごす人多し。

《意訳》
私たちは短い生涯のなかで様々なことを経験し、歎き悲しんでばかりいる。
悩みに囚われて心が狭くなってしまい、まるで自分だけが苦しいと思い込んでいる。
しかし、なにを苦しみと名付け、なにを楽と呼ぶのか。
すべては心が造り上げているにすぎず、心構えひとつで、苦とも楽ともなるのである。
それを知らずに過ごしている人の実に多いことよ。
 
塞翁の心は、まさにこのお経が説くものだったのでしょう。
「人間万事塞翁心」。
苦とするか、楽とするか、それを決めるのは自分の心なのです。

午年とはいえ、サラブレッドのように優雅に駆けることが出来ない日もあるでしょう。
しかしそんな時も、農耕馬のように泥にまみれながら、足元を耕しながら、一歩一歩生きていく。
それを苦しいとは思わず、楽しいと思えるような心でいられるように、精進していきたいものです。
本年もどうぞよろしくお願いします。



それでは、ようやくお正月の慌ただしさが終わった源さんでした。
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