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風と草

吾が心、秋月に似たり

2021-10-10
こんにちは、副住職の源さんです。

行楽の秋、芸術の秋、スポーツの秋。
皆様はどのような秋をお過ごしでしょうか。
私は天高く馬肥ゆる秋を過ごしております。

さて、今日は掛け軸をご紹介します。

吾心似秋月、碧潭清皎潔
無物堪比倫、令我如何説

と書いてあります。
中国唐代の詩集「寒山詩」にみえる漢詩です。
「隷書体」という独特の字体が、モダンなデザインに見えてかっこいいですよね。

書いたのは明治~昭和の初めにかけて活躍した京都建仁寺管長、竹田黙雷老師。

黙雷老師の弟子が、建仁寺管長を務めた竹田頴川老師。
頴川老師の弟子が、建仁寺管長を務めた竹田益州老師。
益州老師の弟子が、建長寺・建仁寺管長を歴任した湊素堂老師と、
現在の建長寺管長である吉田正道老師。
素堂老師の元で修行に励んだのが、広福寺の住職。
正道老師の元で修行に励んだのが、広福寺の副住職。

というわけで、黙雷老師は広福寺の二人のお坊さんにとって、
師匠の師匠の師匠の師匠にあたるわけです。
そう聞くと遠い存在のようですが、禅宗では師匠をとても大切にする文化があるので、
広福寺にとっても縁のある特別な老師なのです。

【読み下し】
吾が心 秋月に似たり。
碧潭 清くして皎潔たり。
物の比倫に堪えたるはなし。
我をしていかに説かしめん。

【意訳】
私の心は秋の月に似ている。
青々とした湖は、清らかで澄み切っている。
どんなものとも比べることが出来ないこの心を、
私にどのように語れというのか。

禅宗では悟りの境地を、しばしば文学作品を用いて表現します。
この漢詩で表現されている禅のこころとは、どのようなものなのでしょう。

この掛け軸をじっと見つめて、黙雷老師の悟りの境地に触れてみるのもよし。
澄み切った秋の月を眺め、言葉で語ることが出来ない悟りの境地に想いを馳せてみるのもよし。

食欲の秋もよいですが、たまには禅の秋といきましょう。
(と自分に言い聞かせています)

それでは、源さんでした。
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